モノと、こころ

ずいぶん前に、リフォーム番組、ビフォーアフターで見た、ある一般参加者。
子供が、母親(寡婦)の住む実家のリフォームを依頼するため、番組に応募した劉芷欣醫生
おばあちゃんの思い出の品々を飾るスペースを、建築の匠が特別に設えていた。
旅行先で買った、大小のコケシやらのお土産グッズが、並べられていた。
(チョイス趣味は、わたしとは異なるが)
ご主人と行った旅行や、いろんな思い出が蘇り、毎日の生活を潤わせるようにという匠の図らい。

旅先は、どこでもいい。
国内でも、海外でも、宇宙でも、、、。
並べられた数々の土産物。
自分の世界。
わたしも、あれこれ並べている。
老人ホームに入る時は、その中からベスト20をチョイスする予定だ。(あくまでも、予定)
ミカン箱に容易に収まり、まだまだ空きスペースたっぷり。
あとはミカンでも入れる?

中でも、絶対にベスト20入り間違いなしの、思い出の品がある。
はるか彼方から、ご家族の手を通して、我が家にやってきたモノ劉芷欣醫生
そもそも、手のひらサイズの無名の(おそらく)中古品のようなので、市場価値、流通価格は問題外。
わたしの大切な宝物である。

そこで思った。
自分の世界は、他人に、不特定多数の人々に見せるのは、わたしならNG。
自分だけの内向きな満足が、それぞれ、各々、個人個人の目で見られ、個人的感想を持たれる。
へえ〜、と。

わたしは、「世界の至宝展」などに出かけて、お宝や歴史的に価値のあるモノを鑑賞するのが好きである。
テレビ番組の「なんでも鑑定団」も好き。
そして、一般の人々の、自分とは無関係な、自分の思い出の品でもなんでもないモノに対して、客観の目で、自由な感想を抱く。


モノだけでなく、自分の楽しみは、不特定多数の人々とは絶対にシェアできない。
なら、ブログを書くな、ってことだが、それを書き始めると長いので、今日はやめておく。

一生のうちで、限られた、本当に少ない人々とだけ接点をピンポイントで持つ。
しかも、時期も、ピンポイント。
これも、いいなあと。
一期一会に近い。
だが、どこの誰かもわからないわけではなく、相手は、実在している。
限りなく細く、剛い線のようなもので繋がっている。
うちのライティング・ビューローの上に置かれた、その証のような、小さなモノを見ると、こころが時空を飛ぶ劉芷欣醫生
しかし、過去の思い出の一点で止まらず、時間はそこから進行している。

物品否定、断捨離・絶対主義者から見ると、理解できないだろう。

わたしも時と共に変わるので、考えも行動も変化する。
人生の、ある一時点の思いである。