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先崎彰容『違和感の正体』を読む

 新進気鋭の評論家、先崎彰容氏の本を初めて読んだ。「せんざき?あきなか」とお読みする。昭和50年生まれだから、40歳を過ぎたばかり。四月から日本大学で教へていらつしやる。個人的な面識はないが、遠藤浩一先生の告別式でお会ひしたやうな気もする。それよりテレビでしばしば見るやうになつたから、声と顔とは認識できて、本を読んでゐても肉声が聞こえるやうだ免補地價

 評論で肉声が聞こえるといふのは褒め言葉のつもりである。「です」「ます」調といふ文体の評論も異例であるが、それも肉声が聞こえる理由かもしれない。

 東日本大震災を経験し、家賃を二重に払はなければならなくなつたといふ、この著者が置かれた状況が、本書のスタイルを決めたやうである。二つの時代を同時に生きなければならなかつたといふことなのだ。

 近代に生きながら、そこに違和感を持つ。しかし、生きるといふことは二つではなく一つだから、畢竟「こころ」が引き裂かれることになる。引き裂かれたままでは生きていくことはできないから、その違和感を表明し、その違和感に言葉を与へ正常に戻さうと努力する。その言葉とは、勝海舟であり、福沢諭吉であり、柳田国男であり、石川啄木であり、北村透谷であり、高坂正堯であり、江藤淳であり、吉本隆明であり、亀井勝一郎である。東日本大震災の避難所で、さうした本を読みつつ、「状況」に抗つた成果が本書である。その意味では、被災してゐない私には何も言ふことはない。できれば、さういふ個人的な状況から発したものではなく、建前上でかまはないから、現代といふ時代にある日本の分析として書かれてほしかつた。

 「個人的体験が、勅撰和歌集から『小説神髄』まで、日本文学の系譜と近代日本の条件につながっている」との確信を著者は表明してゐるが、さういふ個人的体験で彩られた日本から、さうではない日本になるべく努力した近代日本があつて、著者が読んだとした知識人たちがその道を模索し、格闘したのである。その二つを同時に見た著者は引き裂かれることで、本書を書いたのに、結果的に前者への確信を得たといふのであれば、それはどういふことなのか。私にはわからなかつた樓宇二按

 「ものさしの不在」、これが現代の状況であると著者は言ふ。もつと一般的な言葉で言へば、価値観の多様化した時代、あるいは相対主義の時代といふことになる。そんな時に「個人的体験」の尊重を言つてしまふのであれば、それは「私のものさし」の提示にすぎないのではないか。

 現代日本を「診断」しようといふ姿勢で本書は貫かれてゐる。つまり、自分は医者なのである。臨床哲学といふものが一時取り上げられたが、その伝にならへば臨床社会学である。しかし、病気として現状をとらへるとき、それを診察する医者は健康であるといふのが前提である。しかし、現代人はそれほど「健康」であるのか。まともな文学も、まともな学者も、まともな政治家も、まともな教育者も、まともな家族も、まともなジャーナリストもゐないなかで、ひとびとはまともな家族に生まれ、まともな文学を読み、まともな学者から学び、まともな社会人として生きてゐると思つてゐる。さういふ中での診断がもし可能であるとすれば、自分にも聴診器を当てるといふ姿勢がどこかに示されなければならない。したがつて、違和感の表明は、まづ自分に対してなされるべきである。果たしてそれが本書にあるか。私には聞こえてこなかつた。

 最初に、著者の肉声が聞こえると書いた。その声は何か。「さあ、診断してあげませう」といふ不快な親切心である。かつて中村光夫は「です」「ます」調で文章を書いた。有名な言葉に「年はとりたくないものです」との言葉を書いてゐる。その言葉を書いた中村は、当時40歳であつた。作家広津和郎との間に交はされた論争での言葉である。敬体には、どうしても慇懃無礼な印象が伝はつてしまふ。どうしてかういふ文体を選んだのか、たぶん心根がそれを選んでしまつたのであらう。

 最後に引用された亀井勝一郎の言葉はとてもいい物業轉按

「常に正しいことだけを形式的に言う人、絶対に非難の余地のないような説教を垂れる人、所謂指導者なるものが現われたが、これは特定の個人というよりは、強制された精神の畸形的なすがたであったと言った方がよい。精神は極度に動脈硬化の症状を呈したのである。言論も文章も微笑を失った。正しい言説、正しい情愛といえども、微笑を失えば不正となる。」『大和古寺風物誌』

「ゆとりですがなにか」

29日の日曜日に最終回を迎えたドラマはもう一つありました。

クドカン脚本の「ゆとりですがなにか」。

このドラマは初回は、見ていて結構辛いものがありました。

ゆとり世代」っていったい何なのかなって、私は思いますDR REBORN呃人

 

ちょっとドラマとは関係のないお話をします。

かつて一人の少女が私に言いました。

「みんな、簡単に『ああ、ゆとりね。』って言うじゃない。でもあれ、言われている方は凄く嫌な気持ちになるの。だって、何か私たちしたの?」

それを聞いて、私はああ、本当にそうだなあと思いました。それから私は気を付けて、あまり言わない様にする事にしました。と、書いたら、言っていたと言うことがバレバレですね。

ええ、言っていましたよ。

だってまさに自分の子供がその世代。私が時々、「家族スナップ」の記事の中で、下の息子相手に、主に国語と社会の一般常識クイズをしてしまうのは、明らかに教科書レベルの知識量が足りないからです。それはうちの子供に限ってのことかもしれませんが、その話をすると、ほぼ同年代の子の母たちから同じことを聞かされるのです。

一般常識的な知識を削りに削った薄い教科書で鞄は軽くて良かったかもしれませんが、頭まで軽くなっちゃったらね、それは言いたくもなりますよ。

「このゆとりめ。」って。

でもこれはこの時代を過ごした子供たちに言っているのではなくて、その教育に向けて言っているんですよね。

もちろん今からドラマの感想を書こうとしているわけなので、これ以上にの「ゆとり教育」についてのあれやこれやは書きません。

初回、何が辛く感じたのかと言うと、今の20代の後半までの人が自分たちで「ゆとり世代」と言うのと同様に、その母たちが自分の子供たちを「ゆとり世代で」と言うのは良いのですよ。だけど、それを人に何やかやと言って欲しくないのです。

私だって言いたくなりますよ。

「ゆとりですがなにかDR REBORN投訴。」って。

だけどこのドラマはそんなゆとり世代とは何かなどを描いたものではありませんでした。

 

いつだって「今の若い者は。」と言う言葉は使われてきたのですよ。

順番に。

「今どきの若い者は。」が「ゆとり」に変わっただけ。

20代ラスト周辺の若い人たちと、それを取り巻く姿だけは一見大人たちの青春群像劇だったのではないかと思いました。←言い方が「今どきの若い人」じゃない古い言い方^^;

さすがクドカン

最後まで飽きさせず、大笑いしながらいろいろと考えさせられるドラマとなりました。

頗る面白かったです。

私が途中からみやびと十倉(「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」)のきらきら光る粉の魔法にかからなければ、このドラマが2番目に楽しみだったと書いたかもしれません。

 

ところで先日、とある中学1年生女子に、

「中学になると、今まで3.14で計算しなければならなかった円の面積が、π(パイ)が使えるからすごく楽になるわよ。」と教えたら、

「パイか~。パイと聞くと何を思いますか?」言われました。

その時私は瞬時に

「おっぱいいかがですか~!!」と言う柳楽優弥の張りのある声が頭の中で響き渡りました。

もちろんそんなことはおくびも出さず、

「円周率しか思い浮かびません。」と世にもつまらない答えをわざとらしく言うと

「私はレモンパイ????」にやり。

わざとらしい~。ひっかかるか、アホめ 

 

それはともかくとして、あのぼったくりバーに誘い込む「おっぱいいかがですか~。」って声、好きだったなあ。

内容的にはヤバイセリフかも知れないけれど、ちょっとスカッとした。

なんでかって言うと、それはそれなりに私的考えがあるのだけれど、更に長くなるので止めますDR REBORN投訴

5年後、10年後、20年後

長い長い長い、年末年始が終わった。
2016年、やっと平常モードに戻りつつある。

年末から年始にかけて、民族大移動。
それぞれの核家族が、実家に帰省する。

長女一家は、お婿さんの実家へ。
ちょうど、関西と関東の境目ぐらいの位置か。
年末の一週間。
あちらのお父さん、お母さん、ご苦労様。
一番、手のかかる乳幼児連れが、一週間も滞在。
日頃、老夫婦、二人だけの静かな生活に、若手が、どかどか乱入。
しかし今回は、まだお婿さんのお兄さん一家も同時滞在、芋の子を洗う戦場でなくて、よかった癌症初期護理
一緒だと、お風呂の順番なんて、なかなか回ってこないと、長女が言っていたような気がする。

我々は、夫の実家へ。
日頃、老人一人住まいのところに、大人が3人加わる。
義母とのやりとり、どっと疲れる、嫁のわたし。
風習だの、慣わしだの、伝統だの、簡素化しようとするわたしと、
体が動かなく、記憶もだんだんぬるくなってきているのに、想いとアタマと口の達者な義母と、ことごとく衝突。

お正月明けて、長女一家、乳幼児連れが、どかどか4人乱入。
むこうの、お婿さんのご両親、おそらく万歳三唱。やれやれ、と。

こちらは、迎春準備はバタバタだったものの、明けて、大人だけの静かなお正月に、活発どたばた世代が増加。
ダイニングキッチンは、ぎゅうぎゅう詰め。

さらに、そのメンバーで、今度は、わたしの実家にGO。
実家では、姉一家(姉夫婦、シングル甥っ子や、ちび連れ姪っ子たちファミリー)と合流。
若いお婿さんは、これで、3人に。
母や兄たちは上座に鎮座。
各世帯、お年賀品?交換会、物流、交流、わーわー。
老若男女向き?和洋折衷?昼食、お茶&和菓子、コーヒー、と、進んで、あっという間にお開き。
ばたばた。


各家々に三々五々の後、我が家には、うちの長男が帰省。
我が家が、「モノが多すぎる」と、長男による断捨離の粛清が始められる。

ぽいぽい、ゴミ袋に入れる息子。

「それは、捨てたらあかん」
「どう見ても使ってないで」
「これは、大事に取っておいているものなんやから」

「賞味期限、過ぎてる」
「塩昆布は、べつにいいのよ」

「こんなもん、まったく要らんものや」
「いや。要る。わざわざ買って、集めているんやから」

あちこちで、すごいスピードで、ゴミ箱行きに仕分けされる。


息子が帰ったあと、捨てられたものの中から、執着心のあるものをわたしは、レスキューする。
が、息子が言う通り、なくてもよいものばかりではある激光脫毛優惠
が、見切りをつける期間が、わたしと息子では、時間の長さが違うのだ。

次女は、
「お兄ちゃん、一年に一回しか帰ってこない、実家の大掃除して、どうする気や?」
と、冷ややか。

義母宅の冷蔵庫を賞味期限切れチェックをして、はるかに賞味期限が切れているのを見て呆れておきながら、
自分の家では、息子に呆れられている。

自分の実家に訪れる身でありながら、子供に実家を訪れられる身、同時進行している。
核家族が、いっぱい。
交通整理しないと、統制がとれない。
求心力、まとめ役、牽引役が必要である。

子供は、あと30年すると、自分の子供(わたしの孫)に実家を訪れられ、実家を訪れられる気持ちがわかるだろう。
そして、子供と孫が、「おばあちゃんち」として、うちを訪れることになる。
我々は、30年先、実家を訪れるとすると、そこには誰が住んでいるのか?
我々? ひ孫? それとも、Nobady?
メビウス状態になってきた。


実家に移住しないで、自宅から通って管理だけするとするとしても、
高齢になって自立できなくなると、自分は老人ホームに入ろうと思っている。
管理は、子供にバトンタッチということになる。
子供も高齢になってくると、管理は孫にバトンタッチということになる。
管理費は、どこから捻出する?
遠方にいる場合は?

よほどの信念と経済力がないと、困難である。
親が居なくなると、売却してしまい、はい、それでオシマイ。
死んで、あの世から化けて出てくるわけにはいかないので、自分がいない後のことなど、
だれが約束してくれようか。
(存命のうちに自分の家を売却する人もいる)

核家族になって分裂して、消滅して、それでオワリ。
これをあきらめるのか、自分の目の黒いうちに、スピリッツと資金を残しておくのか。
そのつもりにしていても、
自分の死に際に、予想以上におカネがかかってしまって、残す資金がなくなってしまったら、それはそれで、しかたない。
老人ホームに入るプランは立てられても、死期プランは立てられない。
その時はその時。どうせ、自分はこの世にいないのだから、どうなっていてもわからない。
せめて遺言だけは、残しておこうと思う。

通いで管理するのがだんだん、体力的に辛くなって、軸足を実家に移すかも知れない。
軸足を移す時の準備をしておくのも、選択肢のひとつではある。


5年後には、夫は、仕事を減らし、義母は、通院か入退院で、自宅と病院を行き来か、老人ホームを検討。
あと10年すると、夫は完全にリタイア、義母は、あの世とこの世の中間。
その頃、わたしはどんどん下り坂、順調な老化のカーブを曲がっていると思われる。
やりたいこともやりつくし
というか、やりたいことを続行しようとすると、老化などで、支障をきたし、やりたいことが出来なくなっておもしろくなくなって、したいことを変更しているかも知れない。
その微妙な頃は、親を見送る時期と重なることだろう。
親の介護に専念したとしても、そろそろ本格的に介護という覚悟が自分の中で出来上がり、
やりたいことも、見送りも、「やり残した感」はそうないと予想する。

しかし、70歳ではまだヒヨコで、80歳にならないと、老境に突入しないかも知れない。
自分の老いとの闘いは、80過ぎてから、85ぐらいで本格的かも。
その頃には、親はあの世に行っている(はず)印尼機票
本腰入れて、自分との老いと向き合うことになる。

今回、息子にも言われた。
自分の入りたい老人施設、決めといてね、と。
順調にいけば、まだじっくり時間はある。
今から20年~25年の間に決めよう。
あ、その前に、義母。


なるように、なる。
なるようにしか、ならない。

咲く咲かない

 
先日うっかり折ってしまった白いラナンキュラスのつぼみが開いた。
 黄色いのはおなじみの水菜。もはや切Pretty Renew 銷售手法り花を栽培しているような感じになっていたけれど、その水菜もこれでおしまい。
 左側は咲かなかったバラのつぼみ。去年からついていたつぼみを切ってPretty Renew 銷售手法水に挿して、もう10日は経ったけれど開かない。木の為には、もっと早く切ってあげればよかったんだろう。
 
 入学式からの帰りらしい人を何人も見かけた。
 新品の学生服を誇らしげに着た女子高生は立ち話をしている。同じ中学の出身で別々の高校に進学した者同士、互いの制服の感想を言ったり学校のことを話したり、テンションが高い。
 
 日曜日には散る気配もなかった桜が、今日はちらほらとPretty Renew 銷售手法 道路に花びらを撒いていた。
 今年はもう、身近な桜だけ。
 
咲くと嬉しくて、散ってしまえばほっとする。